「あと何年、この店を続けられるだろう」
60歳を超えて、毎朝5時に仕込みを始める。膝が痛くても、腰が辛くても、自分がやらなければ店は開かない。
でも、後継者がいない。
子どもは別の仕事をしている。長年いた従業員も、経営を任されるのは荷が重いと言う。結局、自分が倒れたらこの店は終わり──そう思いながら、今日もキッチンに立っている。
後継者がいないのは、あなただけではない
飲食店を含むサービス業で、後継者が不在の割合は58.2%。 2人に1人以上が「引き継ぐ人がいない」という状態だ。
2025年の飲食店倒産は過去最多の900件超。 その多くが小規模の個人店。だが、倒産や廃業の中には「もっと早く承継の準備をしていれば残せた」ケースが少なくない。
「後継者がいない=廃業するしかない」ではない。 方法はある。
この記事では、飲食店の事業承継(じぎょうしょうけい)の3つの方法と、使える支援策を整理する。
事業承継とは、今の経営者が引退するときに、お店の経営を次の人に引き継ぐこと。廃業と違い、お店は続く。
事業承継の3つの方法
①親族承継──子どもや配偶者に引き継ぐ
一番イメージしやすい方法。かつては「息子が跡を継ぐ」のが当たり前だったが、今はこのパターンが減っている。
| メリット | デメリット |
|---|---|
| 常連客やスタッフの安心感が大きい | 子どもが飲食業を望まないケースが増加 |
| 店の「味」や「文化」を引き継ぎやすい | 経営能力があるとは限らない |
| 贈与税・相続税の特例措置が使える | 相続人が複数いると揉める可能性 |
現実: 親族内での承継を行う事業者の数は減少傾向にある。「継いでほしい」と思っても、子どもの人生を考えると強くは言えない。
もし親族に引き継ぐ場合は、最低でも3〜5年の準備期間を見ておいたい。経営の知識、仕入れ先との関係、レシピの習得──一朝一夕にはいかない。
②従業員承継──信頼できるスタッフに任せる
長年一緒に働いてきた従業員に経営を引き継ぐ方法。
| メリット | デメリット |
|---|---|
| 店のことをよくわかっている | 従業員に買い取る資金がないことが多い |
| 他の従業員からの理解を得やすい | 「料理はできるが経営は別」という壁 |
| お客さんの顔ぶれを知っている | オーナーの個人保証の引継ぎ問題 |
最大のハードル: お金。 従業員が店を買い取るには数百万〜数千万円が必要になることがある。ただし、後述する補助金を使えばハードルは下がる。
もうひとつのハードルは**「経営」と「調理」は別の能力**だということ。素晴らしい料理人が、必ずしも良い経営者になれるわけではない。承継を決めたら、仕入れ、原価管理、売上の見方、確定申告──「経営のイロハ」を1〜2年かけて教える期間が必要だ。
③第三者承継(M&A)──外部の人に引き継ぐ
親族にも従業員にも後継者がいない場合、外部の個人や企業に店を譲る方法。
| メリット | デメリット |
|---|---|
| 後継者がいなくても事業を残せる | 自分の思い通りにはならない可能性 |
| 創業者利益を得られる(お金が入る) | 味やサービスが変わる可能性 |
| 従業員の雇用が維持される場合が多い | 買い手探しに時間がかかることがある |
飲食店ドットコムM&A、バトンズなどのマッチングサービスでは、個人の小さな店でも買い手を見つけることができる。
バトンズでは2026年3月時点で飲食店の売却案件が8,000件以上登録されている。「こんな小さな店が売れるのか」と思うかもしれないが、立地、設備、常連客、レシピ──これらすべてが価値になる。
M&Aと聞くと「大企業の話」と思うかもしれないが、飲食業界では月商100万円前後の個人店でも日常的にM&Aが行われている。
2023年の法改正で営業許可の引継ぎが楽になった
事業承継の大きな障壁のひとつだった**「営業許可の引継ぎ」が簡単になった。**
改正前(〜2023年12月12日)
- 旧オーナーが保健所に廃業届を提出
- 新オーナーが保健所に新規の営業許可申請を提出
- 保健所の審査・立ち入り検査
- 許可が出るまで営業できない期間が発生
この「営業の空白期間」が、事業承継のハードルを大きく上げていた。
改正後(2023年12月13日〜)
- 新オーナーが保健所に**「地位承継届」を提出するだけ**
- 旧オーナーの廃業届は不要
- 営業の空白期間なしで名義変更が可能
以前:廃業届 → 新規許可申請 → 審査 → 許可 → 営業再開(数週間〜1ヶ月)
今:地位承継届の提出(原則、即日〜数日で名義変更完了)
ただし、事前に保健所へ相談が必要。 また、営業の「全部」を譲渡する場合に限られる(一部だけの譲渡は対象外)。
それでも、「許可を取り直さなければならない」という最大の面倒がなくなったのは大きい。
使える支援策──補助金と税制
①事業承継・M&A補助金
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 補助率 | 1/2〜2/3(小規模事業者・営業利益率が低下している企業は2/3) |
| 補助上限額 | 800万〜1,000万円 |
| 使えるもの | 承継に伴う設備投資、経営資源の引継ぎ費用、承継後の経営統合費用など |
| 対象 | 親族承継・従業員承継・第三者承継(M&A)のいずれも対象 |
令和7年度(令和6年度補正)から4つの枠で公募が始まっている。
例えば、従業員に店を引き継ぐ際の厨房設備の更新に600万円かかったとしたら、最大400万円が補助される計算(補助率2/3の場合)。自己負担200万円で設備が新しくなる。
②個人版事業承継税制
個人事業主が事業用資産(厨房設備、内装、車両など)を後継者に贈与・相続する際の贈与税・相続税が実質ゼロになる特例。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 個人事業主の事業用資産の承継 |
| 効果 | 贈与税・相続税が実質ゼロ(猶予→免除) |
| 条件 | 2026年3月までに特例事業承継計画を提出 |
| 期限 | 2027年12月末までに事業承継を実施 |
注意: 計画の提出期限が2026年3月。 つまり、今すぐ動かないと間に合わない可能性がある。
③事業承継・引継ぎ支援センター(無料相談)
全国47都道府県に設置されている国の支援窓口。 相談は無料。
- 承継計画の作成支援
- 後継者探し(マッチング支援)
- M&Aの専門家の紹介
- 法律・税務のアドバイス
「何から手をつけていいかわからない」なら、まずここに相談するのが最も確実だ。「都道府県名+事業承継・引継ぎ支援センター」で検索すれば見つかる。
承継される側が今からできる「3つの準備」
「まだ先の話」と思うかもしれない。でも、承継は準備に時間がかかる。早すぎるということはない。
準備①:レシピと原価を「記録」として残す
これが最も重要で、最も軽視されている。
多くの個人飲食店では、レシピがオーナーの頭の中にしかない。分量も「目分量」、原価も「だいたいこのくらい」。
この状態では、誰に引き継ぐにしても──
- 親族: 「味が変わった」とお客さんに言われる
- 従業員: 原価がわからないから適正な価格設定ができない
- 第三者: 事業の収益性が不透明で、買い手がつきにくい
逆に、レシピが記録され、原価率がメニューごとに把握できている店は、承継の価値が上がる。買い手から見れば「この店は数字で経営されている=安心して引き継げる」ということだ。
準備②:経営数字を「見える化」する
後継者や買い手が最初に見るのは数字だ。
| 項目 | なぜ必要か |
|---|---|
| メニュー別の原価率 | 利益構造がわかる。どの商品が稼いでいるか |
| 月次の売上・利益 | 季節変動、トレンドがわかる |
| FL比率 | 食材費+人件費のバランスが健全かどうか |
| 仕入れ先リスト | 取引関係をそのまま引き継げるか |
「儲かっている」と口で言うのと、「原価率32%、FL比率58%」とデータで示すのでは、説得力がまるで違う。
準備③:「いつまでに、誰に」を決める
漠然と「いつかは引退」と思っていると、気づいたときには選択肢が限られている。
| 項目 | 決めること |
|---|---|
| いつまでに | 「70歳までに」「5年以内に」など期限を設定 |
| 誰に | 親族? 従業員? 第三者? → 支援センターに相談 |
| 何を準備するか | レシピ整理、経営数字の記録、許認可の確認 |
承継の準備は「健康なうちに」「業績が良いうちに」始めるのが鉄則。 体を壊してからでは判断力が落ちるし、業績が悪化してからでは買い手がつきにくくなる。
この記事のポイント
- 後継者不在率は58.2%。あなただけの問題ではない。でも、方法はある
- 親族承継・従業員承継・第三者承継(M&A)の3パターン。廃業だけが選択肢ではない
- 2023年の法改正で営業許可の引継ぎが簡単に。「地位承継届」だけで名義変更可能
- 事業承継・M&A補助金は最大1,000万円。個人版事業承継税制は贈与税・相続税が実質ゼロ
- 今からできる最大の準備は「レシピと原価を記録すること」。数字が見える店は、承継の価値が上がる
「引退したいけど、引き継ぐ人がいない」
その悩みは、実は業界全体の構造的な問題だ。だからこそ、国も自治体も支援策を用意している。
でも、支援策は知らなければ使えないし、準備しなければ間に合わない。
まずやれることは2つ。**「事業承継・引継ぎ支援センターに電話する」こと。そして、「自分の店のレシピと原価を記録として残す」**こと。
あなたが何十年かけて作り上げた味と経営のノウハウは、必ず引き継ぐ価値がある。それを「形」にしておくことが、事業承継の第一歩だ。
KitchenCostを使えば、レシピごとの食材・分量・原価を記録できます。頭の中にある「味」と「数字」をデータにしておけば、いつか引き継ぐときの大きな資産になります。App StoreまたはGoogle Playからどうぞ。
出典・参考:
- fundbook「個人経営の飲食店における事業承継の進め方とは?」
- 飲食店ドットコムM&A「飲食店の事業承継・後継者探しを検討中の方へ」
- 東京都福祉保健局「事業譲渡による営業許可・届出の地位の承継が可能になりました」
- 中小企業庁「事業承継の支援策」
- mirasapo plus「事業承継・M&A補助金(令和6年度補正)」
- 創業手帳「事業承継・M&A補助金とは?申請方法やスケジュールをまとめました」
- 日本M&Aセンター「飲食店業界のM&Aと事業承継の動向 2025年最新」
- バトンズ「飲食店・食品のM&A・事業承継 売却案件一覧」