「HACCP(ハサップ)って、大きな工場の話でしょ?」
個人でやっている飲食店のオーナーから、この言葉をよく聞く。10席のラーメン屋に、食品工場と同じ管理なんて無理だと。気持ちはわかる。
でも、法律上は、あなたのお店も対象です。
2021年6月に改正食品衛生法が完全施行されて、すべての飲食店にHACCPに沿った衛生管理が義務づけられた。従業員が1人でも100人でも関係ない。
それから4年以上が経った今、従業員5人以下の小規模飲食店で、ちゃんと対応できているのはわずか35.9%(厚生労働省・令和5年度実態調査)。
つまり、小さな飲食店の約3分の2が、いまだに義務を果たせていない。
「罰則がないから大丈夫」と思っている人も多い。確かに、HACCPをやっていないだけで即罰金ということはない。
でも、食中毒が起きたとき。営業許可の更新のとき。保健所の立入検査のとき。「記録がない」ことが、致命傷になる。
先に結論
- HACCPは全飲食店に義務。 小規模店は「簡易版」でOK
- やることは3つだけ。 ①計画書を作る ②毎日チェック ③記録を保管
- 毎日の作業は10分。 温度を測ってチェックを入れるだけ
- 記録がないと、食中毒で営業停止が長引く。 記録があれば「ちゃんとやっていた証拠」になる
- 営業許可の更新で聞かれる。 未対応だと更新がスムーズにいかない
- テンプレートは無料。 厚生労働省・各自治体のサイトからダウンロードできる
そもそもHACCPって何?──30秒でわかる説明
HACCPは「Hazard Analysis and Critical Control Points」の頭文字で、もともとNASA(アメリカ航空宇宙局)が宇宙食の安全管理のために開発した仕組み。
……と聞くと「やっぱり大がかりなやつじゃん」と思うかもしれない。
でも飲食店に求められているのは、こういうことです。
「食中毒が起きそうなポイントを事前に決めておいて、そこを毎日チェックして、記録に残す」
たとえば——
- 冷蔵庫の温度がちゃんと10℃以下になっているか
- 肉の中心温度が75℃以上で1分以上加熱されているか
- 調理前にちゃんと手を洗ったか
これを紙に書いて残す。それだけ。
「え、それだけ? 普段からやってるよ」 と思った人も多いはず。実際、衛生管理そのものをやっていない飲食店はほとんどない。問題は**「記録に残していない」**こと。
法律が求めているのは——
やっている = 記録がある
記録がない = やっていない
20年間一度も食中毒を出したことがなくても、記録がなければ「衛生管理をしていなかった」と判断される。これがHACCPの世界のルール。
小規模飲食店の「簡易版」は何が違うのか
HACCPには2つのレベルがある。
| 本格版(HACCPに基づく衛生管理) | 簡易版(HACCPの考え方を取り入れた衛生管理) | |
|---|---|---|
| 対象 | 大規模事業者(従業員50人以上目安) | 小規模事業者(50人未満) |
| HACCPチーム編成 | 必要 | 不要 |
| 危害分析(HA) | 科学的根拠に基づく分析が必要 | 業界の手引書に従えばOK |
| CCP(重要管理点)の特定 | 自社で特定・検証 | 手引書のモデルプランを使えばOK |
| モニタリング | 連続的な監視・記録 | 日々のチェックと記録 |
| 検証手続き | 定期的な科学的検証 | 不要 |
小規模飲食店に求められているのは「簡易版」です。
科学的な分析もCCPの検証も不要。厚生労働省や業界団体が出している「手引書」のテンプレートに沿って、チェックリストに記入するだけ。
「小規模事業者」には、飲食店だけでなく、パン屋、弁当屋、総菜屋、キッチンカーも含まれる。
具体的に何をするのか──3ステップ
ステップ1:衛生管理計画書を作る(一度だけ・所要時間1〜2時間)
「計画書」と聞くと身構えるけれど、中身はシンプル。
「うちの店では、毎日これをチェックします」という項目を書き出したリストのこと。
一般衛生管理(どの飲食店も共通)
| チェック項目 | 確認内容 | いつ |
|---|---|---|
| 原材料の受入 | 見た目・におい・温度・期限を確認 | 仕入れ時 |
| 冷蔵庫・冷凍庫の温度 | 冷蔵10℃以下、冷凍−15℃以下 | 始業時 |
| 交差汚染の防止 | 生肉と野菜のまな板・包丁を分ける | 調理中 |
| 従業員の健康管理 | 体調不良(下痢・嘔吐)がないか | 始業時 |
| 手洗い | トイレ後・調理前・作業切替時 | 随時 |
| 器具の洗浄・消毒 | まな板・包丁・ふきんの洗浄 | 営業終了時 |
| トイレの清掃 | 清掃・消毒 | 営業前 |
メニューに応じた重要管理(お店によって違う)
飲食店の手引書では、メニューを3つのグループに分けて管理する。
| グループ | 説明 | 例 | 管理のポイント |
|---|---|---|---|
| ①加熱しないもの | そのまま提供する料理 | 刺身、サラダ、冷奴 | 冷蔵温度の管理、手洗いの徹底 |
| ②加熱するもの | 加熱してすぐ提供する料理 | 焼き魚、炒め物、揚げ物 | 中心温度75℃以上で1分以上 |
| ③加熱後に冷却するもの | 加熱してから冷まして提供 | ポテトサラダ、煮物の冷菜 | 加熱後すぐ冷却、再加熱時も75℃以上 |
③のグループが一番リスクが高い。 加熱で菌は死ぬけれど、冷ます間に温度帯(10〜60℃=「危険温度帯」と呼ばれる)を長時間通過すると、菌が再び増殖する。
自分のお店のメニューがどのグループに入るか、書き出してみてください。
ステップ2:毎日チェックして記録する(1日10分)
計画書ができたら、あとは毎日の実行。
記録用紙は1枚のチェックシート。 各項目にチェック(✓)を入れていくだけ。
【衛生管理記録】 2026年 3月
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日付:__月__日(_)
□ 従業員の体調確認(下痢・嘔吐・発熱なし)
□ 手洗いの実施
□ 冷蔵庫の温度( ℃)← 10℃以下
□ 冷凍庫の温度( ℃)← −15℃以下
□ 原材料の確認(鮮度・期限)
□ 調理器具の洗浄・消毒
□ トイレの清掃・消毒
★ 問題があった場合のメモ:
_____________________
確認者:______
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温度を2つ書いて、チェックを5つ入れて、名前を書く。 所要時間は5〜10分。
ステップ3:記録を1年間保管する
記録用紙を日付順にファイルに綴じるだけ。ノートに手書きでもExcelでもスマホのアプリでも、形式は問われない。
保健所の検査で「見せてください」と言われたとき、すぐに出せればOK。
やらないとどうなるのか──3つのリスク
「で、結局やらなかったらどうなるの?」
ここが一番気になるところだと思う。
リスク①:営業許可の更新がスムーズにいかない
飲食店の営業許可は有効期限がある(多くの自治体で5〜8年)。更新時に保健所が施設を確認するが、その際に衛生管理計画と記録の有無をチェックされるようになった。
計画書も記録もなければ、行政指導が入る。即座に許可が下りないケースも出てきている。
リスク②:保健所の立入検査で指導を受ける
保健所は日常的に飲食店の立入検査を行っている。検査官が来たときに「衛生管理計画はありますか?」「記録を見せてください」と聞かれる。
出せなければ——
行政指導 → 改善が見られなければ改善命令 → さらに放置すると営業停止 → 最悪の場合営業許可取消
段階的に処分が重くなる。
リスク③:食中毒が起きたとき、記録の有無で処分が変わる
これが最大のリスク。
食中毒が発生すると、保健所の調査が入る。このとき——
| 状況 | 想定される処分 |
|---|---|
| HACCP記録あり+適切な管理の証拠あり | 営業停止3日程度 |
| HACCP記録なし+管理不十分と判断 | 営業停止改善確認まで延長 |
| 悪質な場合(故意の隠蔽など) | 営業許可取消+3年以下の懲役または300万円以下の罰金 |
記録があれば「ちゃんと衛生管理をしていたけれど、それでも事故が起きてしまった」という証拠になる。
記録がなければ「そもそも衛生管理をしていなかった」と推定される。同じ食中毒でも、処分の重さが変わる。
食品衛生法の罰則は、個人で3年以下の懲役または300万円以下の罰金、法人で1億円以下の罰金。
「そんな大ごとにはならないだろう」と思うかもしれない。でも、飲食店の食中毒は毎年1,000件前後発生している。自分のお店で起きない保証はどこにもない。
よくある誤解を解いておく
「調理師免許があればHACCPは不要でしょ?」
関係ありません。 調理師免許は調理の技能を証明するもの。食品衛生責任者の資格とも別の話。HACCPの衛生管理計画と記録は、資格の有無に関係なく全飲食店に義務。
「食品衛生責任者の講習を受ければOK?」
それだけでは不十分です。 食品衛生責任者の設置は営業許可の要件であり、HACCPの要件とは別。講習を受けただけでは、衛生管理計画の作成も記録の実施もしたことにならない。
「20年間問題なくやってきた。今さら紙に書く必要ある?」
あります。 法律が変わったのは2021年。それ以前は記録の義務がなかったので問題なかっただけ。今は義務です。
しかも、「20年間問題なかった」のは運が良かった面もある。記録をつけることで、今まで気づかなかったリスク(冷蔵庫の温度が高い時間帯があった、など)が見えてくることもある。
「保健所の人が来たことないから大丈夫」
保健所の立入検査は告知なしで行われることがある。来ていないのは「まだ来ていないだけ」で、対象外という意味ではない。
テンプレートはどこで手に入るのか
自分でゼロから作る必要はない。以下のサイトから無料でダウンロードできる。
| 提供元 | 内容 |
|---|---|
| 厚生労働省 | 「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理のための手引書(小規模な一般飲食店事業者向け)」令和6年1月改訂版 |
| 各都道府県・市区町村の保健所 | 地域ごとのテンプレートと記入例(東京都、大阪府、川崎市など各自治体が独自に作成) |
| 日本食品衛生協会 | 業種別の手引書(飲食店、菓子製造、総菜など) |
おすすめは、自分のお店がある自治体のテンプレートを使うこと。 保健所の検査は自治体ごとに行われるので、その自治体のフォーマットに沿っていれば話がスムーズ。
「東京都 HACCP 飲食店 テンプレート」「大阪府 衛生管理計画 ダウンロード」などで検索すれば見つかる。
「そうは言っても毎日は無理」──現実的な続け方
ここまで読んで、「やることはわかった。でも毎日記録をつけるなんて続かない」と思った人もいると思う。
1〜2人でお店を回していたら、仕込み、調理、接客、会計、片付け、仕入れ──やることが山ほどある。正直、チェックシートに記入する時間すら惜しい。
その気持ちはわかる。でも、完璧にやる必要はない。
現実的な運用のコツ
①記録用紙をレジの横に置く。 目に入る場所に置くだけで記入率が上がる。
②始業のルーティンに組み込む。 開店準備の一環として、まず冷蔵庫の温度計を見る→チェックシートに書く→手洗い→チェック。この順番を決めてしまう。
③問題がなければ、チェック(✓)を入れるだけ。 メモを書くのは問題があったときだけ。通常営業なら1日5分もかからない。
④月末にまとめてファイルに綴じる。 毎日ファイリングしなくていい。月末にまとめて1ヶ月分を綴じればOK。
⑤完璧じゃなくてもいい。 記録が抜けている日があっても、「概ね記録をつけている」状態と「まったく記録がない」状態では、保健所の評価がまるで違う。
今週やること──チェックリスト
- 自分のお店がある自治体のHACCPテンプレートをダウンロードする(「〇〇市 HACCP 飲食店 テンプレート」で検索)
- 衛生管理計画書を1枚作る(テンプレートの項目を、自分のお店に合わせて調整するだけ)
- 記録用紙を30枚コピーしてレジの横に置く(1ヶ月分)
- 冷蔵庫と冷凍庫に温度計がついているか確認する(なければ100円ショップのものでもOK)
- 明日から、始業時に5分だけチェックを入れる習慣を始める
完璧にやろうとして結局何もしないよりも、**「とりあえず冷蔵庫の温度を書くところから始める」**ほうがずっといい。
毎日の衛生チェックは、食材の状態を把握することにもつながる。「冷蔵庫の温度が高い=食材の劣化が早い=廃棄ロスが増える」。衛生管理と原価管理は、実は同じところにつながっている。
KitchenCostでレシピごとの原価を管理している人は、食材の使い切りサイクルも見えてくるはず。仕入れ量の最適化は、衛生リスクと食材ロスの両方を減らす。まずは今週、冷蔵庫の温度を記録するところから始めてみてほしい。
出典・参考:
- 厚生労働省「HACCPに沿った衛生管理の制度化について」
- 厚生労働省 令和5年度「食品衛生管理に関する実態調査」
- 日本食品衛生協会「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理のための手引書」令和6年1月改訂
- 東京都保健医療局「HACCP取組み支援サイト」
- 食品衛生法(令和3年6月1日完全施行)
- 飲食店ドットコム「HACCP義務化の飲食店への影響と対策」
- フーズチャネル「食品衛生法改正とHACCP対応のポイント」